Contents

羅臼岳のヒグマ事故「山に行ったのが悪い」という声からは「公正世界仮説」という心理があることを知られるべきだと感じる

参加者は アオイ、ハル、ソウ の計 3 名です。


登場人物

  • アオイ: 知的で冷静な分析家。物事の本質を鋭く見抜き、感情に流されず、論理的な意見を述べる。
  • ソウ: クリエイティブで、少しひねくれた視点を持つアイデアマン。常識にとらわれず、議論に新しい風を吹き込むための、ユニークな発言をする。
  • ハル: 明るく、誰にでも優しいムードメーカー。参加者の意見を肯定し、会話が弾むように相槌を打ったり、新しい視点を提供する。

今日の雑談

ハル: うわー、羅臼岳のヒグマのニュース、私も見たよ…。山に行ったのが悪いって言うのは、ちょっと違う気がするよね。

ソウ: 「山に行ったのが悪い」って、それはあまりにも短絡的すぎない? そもそも、なぜ人は自然に魅せられるんだろうね。その魅力に惹かれて、結果として悲劇が起こったとしても、それは「自己責任」の一言で片付けられるべきことなのかな。逆に考えると、自然の脅威を過小評価していた、という側面もあるのかもしれないけど。

アオイ: なるほど、羅臼岳のヒグマ事故についてですね。被害者を責める声があるとのことですが、それは「公正世界仮説」という心理が働いているのかもしれません。物事が常に公平であると信じたい、そのために不幸な出来事を個人の責任に帰してしまう傾向ですね。

ハル: そうそう!ソウくんの言う通り、自然の魅力って本当に不思議だよね。惹かれるからこそ、ちょっとリスクがあっても行きたくなっちゃう気持ち、すごくわかる!アオイちゃんの言う「公正世界仮説」っていうのも、なるほどなって思う。みんな、安心して暮らしたいから、そういう考えになっちゃうのかもね。

アオイ: ええ、ハルさんの仰る通りです。自然の魅力は、時に人の理性を超えるほどの引力を持つことがあります。そして、「公正世界仮説」は、社会的な安定を保つ上で一定の役割を果たす心理ではありますが、それが個人の不幸を単純化する理由にはなりません。本質はどこにあるのでしょう?

ソウ: でも、それって本当かな?「自然の魅力」とか「理性を超える」とか、そういう言葉で片付けてしまうと、結局、何が本質なのか見えなくなってしまう気がするんだよね。そもそも、人間が「自然」と「自分」を分けて考えていること自体が、ちょっと傲慢なんじゃないかな。僕らは自然の一部なのに。

ハル: ソウくん、面白い視点だね!「自然の一部」っていう考え方、すごくいいね!確かに、人間だけが特別みたいに考えがちだけど、そうじゃないのかも。アオイちゃんも、本質を見失っちゃいけないって言ってるし、もっと深く考えてみたいな。

アオイ: ソウさんのご指摘は鋭いですね。「自然」と「人間」を対立するものとして捉えること自体が、我々の認識の枠組みに過ぎないのかもしれません。我々もまた、自然界の摂理の中で生かされている存在です。別の角度から見てみませんか?例えば、この事故から、我々が自然とどのように共存していくべきか、という問いを読み取ることはできないでしょうか。

ハル: うんうん、アオイちゃんの言う通り!自然とどう共存していくかっていうのは、すごく大事なテーマだよね。今回の事故をきっかけに、みんなで考えられたら、きっと何か良い方向に向かえる気がする!

ソウ: 共存か…。それは理想だけど、現実的にはどうなんだろうね。例えば、人間が「安全」を求めて自然を管理しようとすればするほど、かえって歪みが生じるんじゃないかな。熊だって、本来なら人間が立ち入らない場所で生きているはずなのに、人間がその領域を侵している、という見方もできる。結局、問題の本質は、人間が「支配者」であろうとする姿勢にあるんじゃないか、なんて思ったりもするんだけど。

アオイ: ソウさんの「支配者であろうとする姿勢」というご指摘は、非常に本質を突いているように感じます。我々は、自然をコントロールできるという幻想に囚われがちですが、それは傲慢な見方かもしれません。自然の力は、我々の想像を遥かに超えるものです。共存とは、支配ではなく、むしろ畏敬の念を持って、その一部として調和を図ることなのかもしれませんね。

ハル: わー!ソウくんもアオイちゃんも、すごく深いところまで考えてる!「支配者であろうとする姿勢」かぁ…。確かに、人間って、なんでも自分の思い通りにしたくなっちゃうところあるかも。でも、自然をコントロールしようとすると、かえってうまくいかないっていうのも、すごくわかる気がする!

アオイ: ハルさんの仰る通り、人間の「思い通りにしたい」という欲求は、時に自然との調和を乱す要因となり得ます。しかし、それは人間の本質的な部分でもあるのでしょう。問題は、その欲求をどのように制御し、自然への敬意とバランスを取るか、という点にあるのではないでしょうか。

ハル: うんうん、アオイちゃんの言う通り!欲求をどうコントロールするか、そして自然への敬意とのバランスだよね。難しいけど、すごく大切なことだと思う!みんなで話し合って、少しでも良い方向に向かっていけたら嬉しいな!

ソウ: でもさ、その「欲求」をコントロールするって、誰が決めるんだろうね?結局、人間が作った「ルール」とか「倫理」なんて、自然から見たらただのノイズかもしれない。熊だって、人間が作ったルールなんて関係なく、生きてるんだから。むしろ、人間が「自然への敬意」とか言い出すこと自体が、自分たちが自然から乖離してるって自覚してる証拠なんじゃないかな。

ハル: ソウくん、またまた鋭い指摘!「ルールなんてノイズかも」って、確かにそうかも!熊にとっては、人間が作ったルールなんて関係ないもんね。人間が「自然への敬意」とか言い出すのが、自分たちが自然から離れてる証拠っていうのも、すごく腑に落ちるなぁ。

アオイ: ソウさんのご指摘は、我々の価値観が人間中心主義に基づいていることを浮き彫りにしますね。「自然への敬意」という言葉自体が、我々が自然から切り離された存在であるという前提を含んでいるのかもしれません。本質はどこにあるのでしょう?我々が自然の一部であるという事実を、どのように認識し、行動に移していくかが問われているのでしょう。

ハル: アオイちゃん、本当にそう思う!「自然の一部である」っていうのを、もっと深く実感したいよね。人間中心主義じゃなくて、もっと広い視野で物事を見られるようになりたいな。みんなで話し合って、新しい発見がたくさんあって、すごく楽しい!

ソウ: そもそも、人間が「自然の一部」だって、本当にそう思ってる?口では言うけど、実際には自然を「利用」したり「保護」したり、結局は自分たちの都合でしか見てない気がするんだよね。熊だって、人間が「危険だ」とか「可愛い」とか、勝手にレッテル貼ってるだけだし。もっとフラットに、ただ「そこにいる」っていう存在として見れないのかな。

アオイ: ソウさんの仰る通り、我々の「自然観」は、しばしば自己都合に基づいたものになりがちです。熊を「危険」と見なすのも、「可愛い」と愛でるのも、人間のフィルターを通した評価に過ぎません。別の角度から見てみませんか?熊もまた、人間と同じように、それぞれの生を懸命に生きている存在です。その事実を、ただ静かに受け止めることが、共存への第一歩なのかもしれません。


今日の話題